2009/10/09 07:35
ビンティとクーラ
binti3


雌ゴリラのビンティは生まれたとき、母ゴリラ、ルルの乳が十分でなかったため、
動物園の係り員の手で育てられ生き延びました。その後1991年にシカゴ、
イリノイ州のブルックフィールド動物園に移されました。人の手で育てられたゴリラを
動物園の群れに戻すのは難しいのですが、ここでビンティは何とか適応し、6歳のとき
グループの中のシルバーバックの子供を身ごもりました。動物園関係者は、母ゴリラから
の母性の教育を受けてないビンティを心配しておもちゃの人形を与えて母乳のやり方を
教えました。
娘のクーラが無事生まれて母娘はグループの中でにうまくやっていけるようになりました。
そして事件はビンティ8歳の時、1996年8月16日に起こりました。
その日ビンティは屋外でやさしく娘のクーラの毛づくろいをしていました。来園者たちは
ゴリラたちの様子を楽しんで見ていました。そのとき柵のそばで身を乗り出して遊んでいた
3歳の坊やが落ちて5メートル下のコンクリートに叩きつけられ、意識を失って倒れました。
ゴリラ舎の周囲は騒然となり、坊やの母親は悲鳴を上げて助けを求めました。
かけつけた係り員が上から放水して、近づこうとするゴリラを制しました。その時
水煙が立つ中を一頭のゴリラが坊やに覆いかぶさり、そして抱き上げました。
人々の悲鳴があちこちで上がりました。ゴリラはビンティでした。自分の娘クーラを
肩にはわせ、坊やを両手で胸に抱きしめ、18メートル離れた係り員が出入りするドアに
抱えて行きました。大きな雌ゴリラが近づくと小さく唸って追い散らして坊やを守りました。
係り員がそのドアにかけつけると、ビンティは坊やをそっと置いて立ち去ったのです。
坊やは直ちに救急車に乗せられ病院に向かい、4日間の入院の後、無事退院する
ことができたとか。このときの様子は偶然にもビデオに収められています。
人間がゴリラに対して行った数々のひどい仕打ちを考えると、ビンティのとった崇高で
利他的な行動に涙してしまいます。


binti2
坊やを運んでドアの前におろすビンティ


動画もあります。
関連記事

プロフィール

エリアンダー

Author:エリアンダー
世界のジョークとちょっといい話

Oh Lord, give me patience, and GIVE IT TO ME NOW!

「神よ私に忍耐力をお与えください。今すぐ欲しいのです!」

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも一覧


「バーソは自由に」

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる