2008/05/10 08:32
筆者は子供の頃から親しみにくかったようで、あだ名をつけられたことも、
下の名前で呼ばれたことも、なかった。十代後半以降は、呼び捨てにされることも、
タメロを利かれることもなくなった。こちらから距離を詰めるのが苦手なため、
自分も相手に合わせ  て年齢性別に関係なく「さん」付けと丁寧語で返している。
どこかヨソヨソしい--結果として、それが周囲との基本的な距離感であり続けてきた。
そのためか、映画などを観る際は人物同士が互いをどう呼び合うかに人一倍デリケートに
なっている。そこに、人間同士の「心の距離感」が如実に表れていると実感してきたからだ。
特に青春映画ともなると、周囲から「さん」付けで呼ばているだけでその入物に感情移入してしまう。
今回取り上げる『楼の園』は、まさにそんな作品だ。舞台本番を間近に控えた、ある女子高の演劇部。
その前日に、三年生部員の杉山(つみきみほ)が喫煙で補導されてしまい、公演が
中止になるかもしれなくなる。本作では、そんな中で迎えた公演直前の部員たちの心模様が、
繊細なタッチで描かれていく。物語の中心となるのは、杉山、志水(中島ひろ子)、
倉田(白島靖代)という三人の三年生。面白いのは、三年間を同じ部活で過ごしてきたにもかかわらず、
彼女たちだけが互いを「さん」付けで呼んでいることだ。それでも志水と倉田は互いにタメロを利くし、
志水は杉山にもタメロだ。が、杉山だけ、志水に対し「です・ます」調で話している。明らかに
周囲から距離のある杉山に、筆者は自分自身を投影するようになっていった。おかげで、
後半の展開がより切なく剌さってくることになった。実は杉山は志水に片想いしており、そのために
緊張してつい言葉が硬くなっていたが、志水は倉田が好きで、倉田も志水が好き。
互いの想いを知った二人は校舎の裏で口付けを交わす。黙ってそれを見守るしかない杉山。
一人だけ「さん」の世界に取り残されてしまった杉山を思うと、胸が苦しくなった。 
そんな杉山も、ラストで救われる。舞台袖で志水にこう話しかけるのだ。「志水さん、
今日、誕生日じゃない?」まだ「さん」付けは変わらない。が、これまでと大きな違いがある。
志水にタメロを利いているのだ。それは、杉山の片想いの終わりを意味する。同時に、
志水と自然な距離感で友情を育む第一歩を、とても不器用ながらも、踏み出したということでもある。 
本作を観終える度、「俺も頑張ってタメロを利こう」と一念発起をする。が、二十年以上、
未だに実現できていない。杉山が、どんどん遠くなる。
春日太一  週刊文春

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