2022/09/28 07:11
・・・・だが、その後ほんの一、二年のうちに、私は変わってしまったのです。
お手伝いのアディーのしぐさも鼻についてきたし、以前私を喜ばせた子供じみた悪ふざけや、
父や母の口にする冗談やとりとめのない話がぞっとするほどいやになったのです。
私は『大人』になっていたのです。父にからかわれると、私は、「お父さま、おやめになって!」と
たしなめたものです。十六歳のころの私は、まるで貴族が小作人に対してとるような高慢な態度で、
両親に接していました。
十七歳のころの私は、フロイトの心理学にかぶれていて、私のまくしたてることばの意味を理解しえない母は、
ただ当惑して目をぱちくりさせるばかりでした。
そのころには夜になっても、もう私は両親と談笑することはなくなり、そのかわり話のわかる同年配の
友だちに会っては、機会あるごとに早く大学にはいって現在の生活から解放される日がこないかしらと
話合ったものです。
 九月のある土曜日、待ちに待ったその日がとうとうやってきました。
父は、学生寮の階段を力強くのぼり、私がこれから生活する三階の部屋までスーツケースの山を
運んでくれました。私は、電気スタンドとアディーがスーパーマーケットで買ってくれたサボテンの
鉢植えを持って、父に続きました。母は、シーツの包みと、私のお気に入りの枕を持って
一番あとからついてきました。私の部屋にはいると、私たちは作りつけの洋服ダンスを点検し、
電気のスイッチの具合をためしたりしたものです。学生たちの若々しい声が廊下にこだましていました。
母はシーツを取り出すと、自分なりのやり方でベッドをつくると言いだしました。
父は札入れから小切手を取り出すと、枕の下に入れておくのが一番安全だと言いました。 
だが、それっきり三人とも黙ってしまいました。このような別れのときに、それ以上何を言うべきか、
よくわからなかったのです。
「あたし、スーツケースあけるの、あとにするわ」沈黙を破ったのは、私でした。そして私は、母を
エスコートして車のところまで歩いて行き、お別れのキスをしました。
そのとき、私はふと胸がしめつけられるような気持に襲われました。まったく予期せぬことでした。
父は、車のドアをあけると、大きく息をしたあと、
「じやあ、元気でな。ジョーニー」と言いました。「パパ、いろいろどうもありがとう」私はできるだけ
平静を装って言いました。でも、そのとき私は、十八歳の分別くさい大学一年生から、父が大好きで
たまらなかった小学校一年生のあのジョーニーに一足飛びに逆戻りしてしまったのです。
口が、悲しみでゆがみ、涙が流れ始めました。
「パパ、私のこと好き?」父は、両手を大きく広げてこう言いました。
「わが家でたった一人学士さまになろうってお嬢さんが、相変わらずわかりきったことを聞くもんだね」
「だって、パパ。あたし、パパが大好きなんですもの」私はべそをかきながらこう言うと、父に抱きつきました。
そして、いったん涙を流したらなんだか気が楽になった私は、今度はにっこり笑って両親に別れを告げたのでした。

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